• 2016.06.29
  •   ナサールからの国際電話






    今日のスタートは酷いもので。



    年に1、2度やらかしてしまう、寝坊




    今朝は目が覚めた時、7時40分






    8時半から講義なのにっ!



    しかも、今日は試験日なのにっ!




    7時55分には家を出ないと間に合わないのに、
    あと15分しかない・・・。




    その間に怒り狂うK2を起こし、
    K1にも声をかけ、
    速攻で化粧をして家を飛び出し・・・。




    なんとかギリギリ講義の時間には間に合ったけど、
    頭が全く回らない。試験監督をする間、
    静寂の中、睡魔との闘い・・・。



    いつも作って持っていくエスプレッソコーヒーもない。




    このところ、毎日運動するせいか、
    ベッドに入るとすぐに眠りについていたけど、
    たまたま昨晩は久しぶりに
    フェイスブックを閲覧していたところ、
    3人の友人たちと同時進行でチャットが始まった。




    そう。フェイスブックには、リアルタイムで
    今誰がフェイスブックを開いているのか
    表示されるという、おせっかいな機能がある。



    そのため、久しぶりに私が閲覧しているのに気づいた、
    地元の友人、スウェーデンの友人、
    韓国の友人・・・と同時間帯にチャットが始まり・・・。



    それぞれの友人たちと3つのチャット
    行き来している間にあっという間に夜中の1時半




    久しぶりの夜更かしに、朝起きることができなかった次第。





    午前中の講義も無事終え、
    帰宅したと同時に携帯電話が鳴る。




    ホーム画面には懐かしい友人、ナサールの顔が。




    サン・ディエゴに住むナサールが
    国際電話をかけてきたのだった。




    便利な世の中になったもので、
    フェイスブックのメッセンジャー機能を
    使った電話は無料。



    昔は海外への電話は
    時計とにらみっこしながらだったのにねぇ。



    1年に1、2度こうして電話がかかってくる。

    久しぶりに話をするナサール。



    離婚調停の真っ只中にいるという。
    そのため、落ち込んでいる。



    離婚はナサールからの申し出だけど、
    カリフォルニア州での離婚は、親権も含め、
    金銭的にも財産を半分渡すなど、不利になることも多い。




    ナサールとの出会いは今から30年前。




    初めて出会ったのは、アメリカ政府が運営する、
    アダルト・スクールという学校施設で。



    ここは、アメリカに移住してきた人々、
    特に難民や政治亡命者などのために、
    無料で英語のクラスを運営する組織。



    本来なら私のような日本人はいない場所。
    けれど、当時の私は貧乏学生だったので、
    学生ビザを持ちながらも、この学校に
    もぐりで入り、授業を受けていた。



    英会話のクラスはもちろん、
    タイピングを習ったり、水彩画のクラスも受講した。
    大学へ入るためのTOEFLの勉強も、
    ここの夜間のクラスで学んだ。




    クラスメートたちはほとんどがアジアや中東からの難民。


    おそらく地雷で片腕を失ったであろうベトナムの男性や、
    アフガニスタン、中南米からの移住者もいた。



    そこに、政治亡命者としてアメリカに
    逃れてきたイラン人男性のナサールがいた。



    授業の初日。




    肌寒い日で、寒そうにしていた私に、
    初対面のナサールが黙って
    自分の着ていた革ジャンを私に差し出した。




    それが彼との出会い。



    その後、私たちの友情はずっと続くことになる。




    私は目標だった大学へ進学。



    ナサールは他に亡命してきた兄弟、従兄弟たちと、
    造園業をスタートし、成功を収めていった。




    ナサールの叔父さんは政治家で、
    イランで公開処刑された。



    年老いたお母さんは親戚とイランに残り、
    兄弟、従兄弟たちの多くは、順次、アメリカに亡命していった。




    兄弟、従兄弟の結束は固く、
    みんなで一丸となってビジネスを広げていた。



    そんな中、兄弟の長男である、
    ナサールの1つ上の兄が
    アラブ首長国連邦への出張の際、
    山中でセスナが墜落し、亡くなった。



    私はナサールと家族ぐるみの
    付き合いをしていたので、
    葬儀にも参列した。



    国を逃れ亡命し、やっと新天地アメリカで
    スタートした仕事が順調に大きくなっていた矢先だった。




    ナサールだけではない。



    あの学校で出会った人たちの多くが、
    祖国を追われ、アメリカに移り住んでいた。


    生きるための英語。


    仕事を得るための英語。


    家族を養うための英語。



    私のような、留学生とは根本から違っていた。




    アメリカに留学してから、
    最初の1年の間に出会ったこうした人々は
    その後の私のアメリカ生活に
    大きな影響を与えている。




    今日のナサールとの電話は、
    懐かしい思い出話にも花が咲いた。



    亡くなったナサールのお兄さんや
    兄弟たちと、車座になって夜遅くまでワインを飲んだこと。



    ナサールを初めてサンディエゴの
    寿司屋に連れて行ったときの、
    生魚を食べた彼のパニックぶり。



    先月亡くなった、ナサールのお母さんが作ってくれた、
    イランの織物のバッグの思い出。




    どんなときも紳士であり、心底やさしいナサールとは
    強い絆、友情関係が崩れることなく、
    こうして20代だった私たちも、
    今では50代の中年と言われる年齢になった。




    「僕の結婚は人生最大の失敗だったよ。」



    なかなか結婚しないナサールに、
    イランに残っていた親戚が、
    お嫁さんを見つけてきたのだという。



    アメリカからその未来の奥さんに会うために
    イランへ一時帰国し、出会いからわずか
    2週間で結婚してしまったナサール。




    その後、イラン人の妻をアメリカへ呼び寄せ、
    2人の子どもに恵まれたものの、
    妻の裏切り、苦労の連続だったらしい。




    「兄弟たちに言われるよ。
    なんであのころ、美穂と結婚しなかったんだって。」



    笑いながらナサールが言う。



    「でも今、美穂が幸せに結婚していることは
    僕の幸せでもある。美穂は一生、僕の親友だからね。

    僕が再婚するときは、僕が飛行機代を出すから、
    かならず結婚式に参列してね。」



    本当に。私も彼の幸せを願ってやまない。

    海の向こうで、同じように私の幸せを
    願ってくれている友がいること。



    ありがたい人生。




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