• 2015.08.12
  •   日航機墜落事故から30年





    520人が亡くなった1985年の日航機墜落事故から12日で30年。



    あまりにも大きな事故で、当時の衝撃を
    今でも覚えておられる人がほとんどだと思う。



    1985年8月12日は、まさに私が
    アメリカに留学する2週間くらい前。



    これからジャンボ機に乗り、
    まだ見ぬアメリカへの夢を膨らませていた時。



    そのアメリカ留学の直前まで、
    私はあるホテルでアルバイトをしていた。



    早朝7時から昼2時までのレストランでのアルバイト。


    アメリカへ行く資金稼ぎだったので、
    少しでもたくさんお金がほしくて、
    直前まで働いていた。



    早朝7時からのモーニングの時間帯は、
    ビジネスマンたちがほとんどだった。



    モーニングには、選択肢がたくさんあり、

    まずは和食か洋食の選択。

    洋食となると、

    オレンジジュースかトマトジュース

    トーストかロールパン

    目玉焼きかスクランブル

    コーヒーか紅茶・・・


    と、覚えているだけでもこれらの選択肢があり、
    7時になると一斉にホテルの部屋から出て
    レストランへやってくるビジネスマンたち
    ひとりひとりのこのモーニングの種類を覚えて
    間違わずにテーブルへ運ぶというのは
    記憶力のよい若い頃だったから出来たのかもしれない。



    日航機が墜落した翌朝は、
    全国から集まった報道関係者で
    レストランはあふれ返っていた。



    あの光景はよく覚えている。



    あの日からテレビではこの大参事の
    報道が連日続いていた。



    搭乗者リストが公表されてわかったことだけど、
    私の父と同姓同名の方が搭乗され、亡くなっていた。



    そのことで、父のところにも知人から
    驚いて問い合わせがいくつか入ってきていた。



    この事故のたった4人の生存者の1人、
    川上慶子さんの父(この事故で他界)も、
    私の父の仕事仲間だったらしい。



    事故から30年。


    ネットで読むと、慶子さんは今では3人の子どもの
    母親となり、静かに暮らしているのだという。


    けれど、今でも当時のことに触れると、
    PTSDの症状が出るのだと。


    同乗していたお父さんと妹は、
    墜落当日はまだ生きていて、
    お互いを励ましあっていたのだから、
    慶子さんの心情を思うとやりきれない。




    以前、遺族会の事務局長をしていらっしゃった、
    美谷島 邦子さんの書かれた本を読んだ。


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    美谷島さんは当時9歳だった息子さんを亡くされた。


    その中で語っておられる言葉。



    「悲しみに向き合い、悲しみと同化して、亡くなった人とともに生きていく」



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