• 2015.05.23
  •   3年目のスクールMARIKO



    今年、3年目を迎えたスクールMARIKO


    まりこ02




    スクールMARIKO 2015年の第2回のゲストは
    島根大学医学部教授・神田秀幸氏と、
    フリービデオカメラマンの花田真司氏。


    神田教授は震災のあった年には
    福島市の病院勤務で、被災された側の立場から、
    そして花田氏は報道を通して、多くの
    被災者との交流を通しての視点から
    お話をいただいた。


    神田教授の子どもさんは震災後に
    奥さんの実家のある東京に一時避難し、
    そこで福島から来たということでいじめに遭い、
    またその後福島に戻った際にも、
    福島から逃げ出した子・・・として差別を受けたという。



    あれだけ日本が一丸となって、
    福島への祈りを捧げた当時にも、
    日常の中には大人だけでなく、
    子どもたちの中にもそうした差別が
    あったことを聞くにつれ、改めて
    当事者に寄り添うことの難しさを思う。



    「さすけねよ」


    福島弁で、「差支えない」「心配ない」の意だという。


    避難先での心細い生活を強いられた方々に、
    神田教授はまず、その一言を声掛けされる。


    多くの人がそうであるように、
    私も2011年3月11日、
    自分が誰とどこにいて、
    何を食べていたのか、
    今でも鮮明に覚えている。


    帰宅後のテレビに映った
    津波の映像とともに、
    昨日のことのように思いだされる。





    花田氏が廃墟と化した双葉町で
    撮影された映像が流された。



    もう2度と戻ることができないであろう
    生まれ故郷で、建ててまもない
    マイホームをじっと見つめる被災者の方。



    何も変わっていない現状。


    あれから4年も過ぎているのに、
    目の前に映し出される映像には
    何も変わっていない福島がある。



    だからこそ、3年目を迎えた、
    スクールMARIKOの活動には意味があるのだと。




    本当にそう思う。




    年々、テレビや新聞で東北大震災関連の
    ニュースを目にすることは少なくなっている。



    自分に今できることは何なのか。



    4年前に感じたあの思いはどこにあるのか。



    改めて自分に問いかけた一日。



    まりこ01







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    No title

    大震災の翌日、福島に住む娘一家は福島空港から松江に帰ってきました。娘は空港で空席を待つ人たちをみながら、本当に申し訳ない気持ちだったと言っていました。福島を離れるのも、残るのもつらい選択だったと思います。たぶん、幼子のことを考えて一時避難を決意したのだろうと思いますが、いまでもあの時のことはあまりは話したくないようです。

    あれから4年。遠くにいる私には何もできません。昨年から、鎮魂の気持ちを込めてお遍路をはじめました。

    ありがとうございます

    Akkyさん、

    コメントをありがとうございました。

    お遍路を始められたのですね。頭が下がります。

    娘さんも大変辛い思いをされているのですね。

    子を持つ身として、我が子を失くした方々のことを想うと、胸が痛みます。もし自分の子が・・・と思うと、その先を考えるのが苦しいので、思考をストップさせてしまいます。

    自分が何ができるのか…それとともに、忘れないことの大切さを感じています。

    真理子さんの講座に参加するのは、その意味もあります。

    小さな一歩一歩でも、自分にできることを長く続けていけたらと思います。

    それとともに、国の政策に対しても声を上げていくこと。それも私たちの使命ではないかなと痛感しています。


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    Author:My Serendipity
    英語講師

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